▼2020年11月4日:記事を少し編集しました。
周りの人や社会のペットに対する扱い方、やり方、考え方に「それは間違ってるよ!」と口を出したくなる気持ちを冷静に分析してみました。どうしてそんな風に思うんだろうって・・・。沸き起こる自分の感情と、それをどのように外に表現(アウトプット)するのか。本来ならば、その感情と自分の間に静かなスペースを置いて、アウトプットする前に自分の身体で感じてみるという事が、成長につながるのではないかと思います。
自分の中に沸き起こるもやもやする気持ち・・・それを外に向かって表現したくなる。そう思う気持ちを”良い” “悪い”とラベリングする必要はありません。そしてその気持ちを否定して押し殺し、無理やり笑顔にしなさいと言っているのではありません。しかし、そういう気持ちを「動物のために」といって外に向けて表現しても、結局は自分の憂さを晴らすためにやっているだけだという事がポイントなんです。そしてその繰り返しでは、私たちの世界&地球は良くならないのです。
だから、本当に愛を持って表現できるようになるまで、まずは自分の心と向き合ってみるのは如何でしょう?子供の頃にふと言われて傷ついた出来事、自分の家族や友達が自分が思うように行動してくれない焦りや怒り、みんなに本当の自分の気持ちを分かってもらえない苛立ちは、本当は全部「怒り」ではなく深く追求して行けば「悲しみ」につがなるらしいのです。
それぞれのキャパシティーを尊重する
のほほ〜んとやっているように見えて、人はみな、それぞれ精一杯頑張ろうとしています。悲しみやストレスのレベルを比べるのは、本当に自分本位な証拠。一番理解してやるべき自分自身に受け入れてもらえない「自らの思い」にのしかかられて、周りが見えてないんだと思います。他人の悲しみを自分の色眼鏡で見ても、真実は見えません。でもね、私たちの身体は、顔や体のタイプが違うように、周りの影響を消化できるキャパシティーも敏感度も違います。
これらは目に見えないので、確かにわかりにくいですね。これはその人がストレスとして受け入れられるカップのサイズに関係しています。
例えば、私は生まれつき感受性が豊かで、心が感動を覚えたり、相手の気持ちを感じると、涙が出てきてしまう状況がよくあります。それが原因で後から考えると穴があったら入りたくなるほど恥ずかしい言動があったり、面倒くさいなぁと思うこともたくさんあります。もちろん嫌な事だけではないですが、マイナスに捉えてしまう事の方が多かったように思います。でも私のこの感受性のカップは、持って生まれたもので、何かの手違いで私のカップだけ小さくなったのではなく、そうなるべくして生まれてきた意味のあるサイズなんです。皆さんのカップのサイズもそうです。
私は私が成長するヒントになるカップのサイズを持って生まれ、家族や友人に助けられながら、経験し、内観してきました。中には「何の事だかさっぱりわからない」と思う方もいるでしょう。その人はきっとそのカップのキャパシティーが大きいんだと思います(自分の中の痛みに気がついてなかったり、蓋をしている方もいると思います)。それはそれで全部オーケー。問題はカップのサイズじゃなくて、そのサイズをどのように使うかなんです。
そして、それぞれ違う心のカップのサイズを持っているというコンセプトを理解した上で、どれだけ自分の心を満たしてやる事に集中できるか・・・。そしたら、そのうち全ての歯車が合ってくると思います。(注意)「内観」が、「自己否定」にならないように気をつけてあげましょう。「内観」とは「自分の心をそのまま受け入れ、認め、癒してあげる事です。」
焦点が自分からブレているサイン
物事には、すべてにタイミングやペースというものがあります。ベジタリアンになるのも、ビーガンになるのも、そうならないのも、動物愛護に目覚めるのも、ペットショップで犬を買うのをやめるのも、そういう事に生涯興味を示さないのも、ぜーんぶ自分がやりたいと思えばやればいいのです。周りの人たちに「〇〇するべき」等の意見を言っている時点で、焦点が自分からブレているサインになります。
本来の自分でいることが社会貢献
極端な話、〇〇主義の人を非難・攻撃する人間であるよりも、日々自分の心を満たして幸せに生きている人の方が、十分な社会貢献をしている事になります。言葉で攻撃するだけではなく、心で攻撃(思っている)する事も同じです。それが自覚できた時点で私たちの成長は始まっています。
虐待される動物の映像や写真を見たときに、私も強い悲しみと怒りを覚えます。その時の自分のコンディションにもよりますが、悲しみや怒りと同時に「自分の中の過去の悲しみがここで表現されているのかなぁ」と思い出せる事ができるようになりました。ちなみに、そう思うのが正しいという意味ではありません。そこで怒りに我を忘れるのではなく、そこから自分の心へ戻って行く術を覚えたという意味です。もちろん虐待した人たちへの怒りの気持ちが溢れ出てくる時もあります。心の中でめちゃくちゃどす黒いことを思う時もあります。でもその気持ちも否定せず、「当然の気持ちだ」ち自分の心の声をちゃんと聞いてあげれば、怒りは通り過ぎ、少しづつ本来の自分を思い出せるんです。お友達の言葉を借りると、筋トレのように少しづつ思いグセを直してやることで、良くなってくると信じています。
最後に、どんな私も愛してくれる夫や友人たち、目覚めのきっかけとなってくれた私の犬たちに感謝の気持ちを込めて。これからも進化・成長していきたいです。
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