「絶対」ってホント?みんなで出来る 動物虐待をなくす方法

Photo by Laura Stanley from Pexels

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「みんなができる動物虐待をなくす方法」っていうと、大袈裟な気もしますが、不可能でなないと思います。自分も動物もみんな繋がっていますしね♬でも私の感覚でお話している部分もありますし、”こうしなければならぬ!”、”良い人、悪い人”、”善悪” という意味ではなく、皆さんに良いタイミングで変化・進化・成長してゆく事だと思うので、あくまでも軽い感じで読んで頂ければ、と思います。私も現在進行中〜。人生最後の日まで、過程を楽しみつつ、喜怒哀楽を繰り返し、成長してゆければと思います。もしよかったらどうぞ☆ 〜Big Tree for Animals

動物愛護、政治、子育てなどその他たくさん、「私は○○を絶対に許しません!」だとか「動物達の為に○○するべき!○○になるべき。」って思ったり、その気持ちをSNSなどで発信した事って、1度や2度はあるかもしれませんね。私もあります(笑。もちろん、各個人で感じる事や、表現方法、生き方はそれぞれの自由だし、第三者にそれが良い悪いと判断される事でもないとは思いますが、私はその行動に違和感を感じます。でもそれはそう発信している方が間違っているという事でもなく、そういう所にひっかかりを感じる私自身の心に耳を傾けよう、というサインではあるなとも思っています。

私の印象では、「私は○○を絶対に許さない!」というその言葉の発するバイブレーションはとてもトゲトゲしているように感じます。私たち人間も、動物も本来は「愛」だけの存在。なんかマッチしないな〜って思うんです。動物愛護・福祉について学び始めた頃に私も経験した「許せん!」という気持ち。そんな重い錘を常に心に残して生きるのって、疲れません?

動物達のお役目って?

猫

動物たちは、私たち人間の心や魂の成長を助けてくれる存在、というのが私の今の感覚です。

湧き上がってくる怒りやイラつきなどの本当の原因を見つけるヒントをくれるメッセンジャーとしてのお役目をしてくれています。

動物虐待など、そういう状況を作った人や事柄に対する憎悪しか出てきませんか?それとも「なんてひどい事が起っているんだろう?!」という驚きと怒りの中にでも、自分に内観できるだけのスペースがありますか?どちらでしょう?*どっちが正しい、間違っているという話ではありません。こういう風に自分の今の思考パターンを客観的に観察してみるのもいいかもという意味です。

虐待をうける怒りや悲しみ感じるのは人間として普通であり、決して間違ってはいないです。そこは誤解しないで欲しいです。その後、どうするかが違いになってきます。

「あのやり方は絶対ダメ、このやり方はおかしい。」相手に対してそういった感情が生まれた時こそ、私は自分に問います。

「どうして私はこの人やこの事柄を見てイラ立つんだろう?」

  • 自分の考え方を否定された気がするから?
  • 活躍する相手と比べ、自分が評価されてない気がするから?
  • なんで分ってくれないの?っていう気持ち?
  • 恐怖感?
  • 不安感?
悲しい、怒った顔

イラ立つ理由を相手に向けるのではなく、「どうして?」と自分に問いかけながら(軽くね!)ただその感情を感じているだけでいいと思います。なーんにも考える必要ないし、癒そうと思わなくてもいいです。こういう事が何回もあると思いますが、それが起こるたびに「どうして?」を続けていくと、だんだんと自分の中が愛で埋まってきます。動物はそうやって私たちの本来の姿(愛の存在)を取り戻すお手伝いをしてくれていると、私は受け取っています(あ、でもそんなに堅苦しい感じじゃなく、しつこいですが、あくまでも軽〜くね)。

人や物事をジャッジするなという事ではない

もちろん、他の人をジャッジしない方が良いにこした事はありませんよね。でもそれは私にはなかなか難しい・・・ですから、どんな時でも人をジャッジするな、というのではなく、ジャッジした後でも遅くないから「どうして私はここでイラ立つんだろう?」と振り返る経験を繰り返す事をオススメします。繰り返すことによって、筋トレと同じように、思考が自分の中を振り返るクセを付けてくれます。

振り返る事によって、自分の根底にあるコンプレックスや寂しさ、傷ついてきた事などに気がついてあげる事が出来たり、それによって、自分や相手にも理解を示せるのではないかと感じます。少なくとも私の経験上、辛い目にあう動物達のお話に関するだけではなく、今までの人生に関する様々な怒り、悲しみ的な感情を手放せば手放す程、自分も楽になるし、相手に対してもピュアな愛で対応できる様になってきた気がします。相手が動物の場合は簡単ですが、人間の場合だと、まだまだの所もありますけどね〜(汗)。

犬

こうした私たちの内面の成長を助けてくれるのが「虐待されている」動物達でもあります。もちろん綺麗事だけにしておくつもりもありませんし、彼らの現状を改善する為に政治的な運動をしたり、レスキュー活動をしたり、パピーミルやペットショップの真実を学んだりする事はもちろんプラスになるとは思います。しかし、そういった中で一見「助けを必要としているだけの存在」に見える動物たちは、身をもって私たちの内面の成長をサポートする役目をはたしてくれていると、私は確信しています。ですから本当に動物の幸せを祈るのならば、自らを許し、相手を許し、自分や相手に思いやりを持つ事を心に留めておいて欲しいのです。許すべき事など、本当の本当の真実の目でみると存在しないのです。

相手を許すという事は相手の行動を容認するという事ではありません。相手を許すというのは、自分を相手に対して感じている増悪の世界から手放して自由にしてやるという事です。しかも相手に送る気持ちや念は、手放したブーメランのように全て自分に帰ってくるといいます。つまり相手を攻撃するのは、自分を攻撃する事と同じなのですね。そんな苦しい状況で、「誰か」を助けられますか?誰かを愛せますか?自分を愛せますか? “絶対”ムリ!(爆笑)

これからの新しい認識

「まだまだ苦労が足りない」「○○の世界はそんなに甘くない」「あなたの時代は楽ばかりして」「私が若い頃にはもっと○○していた」などという言葉は、今の時代にはもうあんまり必要ないような気がします。私も40歳後半になり、「今の若い子は・・・」という言葉が口に出かけた事もあります。そういう言葉が出るのは、大なり小なり自分の心の傷が外に投影されていたからなのだな、と気付きました。そういった言葉を選択する人々も、実は誰にも認められていないと感じていたり、癒されない寂しさ、怒り、悲しみなどがあるのかもしれないという事です。また、それすらも全く感じられないほど心が硬くなってしまっているのかもしれません。

私たちがそれを認識する事によって、そういった言葉を発する人達を理解し、そして何より自分を認め、許し、愛する事を学べば、動物や子供など、誰かを虐待する世界はなくなると、私は信じています。

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