愛犬が命をかけて教えてくれたこと

見上げるパンプキン

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6年前に書いた愛犬パンプキンへのトリビュート。大好きなパンプキンに感謝しつつ再公開したいと思います。どこかで、誰かの心に届けば嬉しいな♫ 〜Big Tree for Animals

愛犬 “パンプキン” 天国へ

2017年12月23日、一年に及んだ勇敢な癌(インスリノーマ “膵臓腫瘍”)との闘いを終え、私たちの愛犬 “パンプキン” は天国へ帰ってゆきました。彼女の最後の日は、一年ぶりに起きた発作によって突然訪れました。発作を抑えるため一日入院しましたが、結果的にはその発作を止めることはできませんでした。

“その時がきたら、分かりやすいように教えてね” ──私はそれまでパンプキンに何度もお願いをしていました。彼女が私のお願いをしっかりと聞き入れてくれた事、とても感謝しています。

最後の夜─

入院先から家に帰ってきたパンプキンと私たち夫婦は──当時はまだ思いもよらなかった事ですが──家族で最後の夜を過ごす事になりました。翌朝、彼女がベッドから降りる音で目が覚めました。私がびっくりして飛び起きると、彼女は私のベッドの横に立ち、じっと私を見つめていました。その時とてもびっくりしたのを覚えています。なぜなら、病気で身体が弱っていた彼女が自力でベッドから降りてくる朝はほとんどなくなっていたからでした。今から思えば、”行く時間が来たよ。準備する時がきたよ。” と言っていたのかも知れません。あの時の彼女の瞳を思い出すたびに ”あぁ、きっとそうだったんだな。”と確信しています。

その時はあまり深く考えず、用を足してもらうために彼女を抱いて、一階の庭に連れてゆきました。庭に置いても、オシッコもせず、ぼーっとした様子で私を見ていました。その時、私は彼女が口からよだれを垂らしている事に気がつきました。そしてもっとよく見えるように私が顔を寄せると、彼女の唇が少し痙攣しているのが見えました。”あぁ、これは 「小発作」と言われるてんかん発作なんだ。”と確信しました。

お別れの時

すぐに獣医さんに連れていきましたが、この時点で発作を止める事は難しく、担当してくれていた獣医さんも私たちも、ついにお別れする時が来たという結論に同意しました。私の中に迷いはありませんでした。ただ、”その時が来た” というセリフを口にする日が本当にくるなんて、信じられなかった。でも同時に、ここまで頑張ってくれたパンプキンへの感謝の気持ちと彼女への愛情で胸がいっぱいになりました。お世話になった獣医さんに感謝を伝え、以前から決めていた通り、自宅での安楽死をする為、家に来てくれる獣医さんに連絡をとりました。安楽死まで発作が再び起こらないよう、診察してもらった獣医さんから、バリウムを処方してもらいました。しかし安楽死の直前、彼女の唇はまた痙攣を始めます。パンプキンが “タイミングは間違いないよ、準備できてるよ。” と再び教えてくれた瞬間でした。

家に来てくれた獣医さんが点滴の管から鎮静薬を注入しました。パンプキンの意識が薄れてゆきました。私たち夫婦は、パンプキンへの感謝の気持ちを伝えようとしましたが、言葉にならず──次に獣医さんが彼女の心臓を止める薬を注入しました──彼女の心臓が止まるまでたったの数秒。あっという間に彼女の歯茎が紫色に変わりました。あっけない早さでした。今朝、私の顔をじっと見つめていたパンプキン。その数時間後に彼女の”身体”は最後の時を迎えたのでした。

愛犬が教えてくれた本当の愛

日本語には “健気” という言葉があります。この言葉を辞書で調べると、”立派な” とか “賞賛に値する” と訳されます。しかし、彼女の ”健気” さはそのような言葉だけでは表現できません。私たちの家族になる前に怖い経験をしたのか、恐怖心からくる “問題行動” はありましたが、パンプキンが生まれ持った気質は穏やかで、控えめで、優しい犬でした。なにより、彼女のおかげで、彼女の “悲しい歴史” を理由に、過去に彼女を辛い目に合わせた “かもしれない” 人たちを “悪い人” と判断したり、自覚はないものの、自分の劣等感やその心の穴を埋めるために、動物愛護という “正義の言葉” を使い ”正義” を振りかざして、周りの人をジャッジしても、自分の成長には繋がらないという大きな学びを得ることができました。世の動物たちは私たちを “正義の人” という “幻想” に酔いしれさせる為に辛い虐待やネグレクトを受け入れて続けているのではありません。彼らはそんな私たちを常に愛のこもった優しい目で見てくれていると思うのです。

私はホリスティック系の獣医師以外に対する信頼を失っており、加えてパンプキンを失うかもしれない恐怖もあり、とてもピリピリした態度で獣医さんに接していました。そんな私にパンプキンが言ったのは「私に接してくれる時のように、周りの人にも優しくしてあげて欲しい」でした。この言葉を聞いた瞬間、パンプキンの私に対する大きな愛情が電流のように身体の中を通り抜けたような感覚になりました。このメッセージだけは一生忘れられないと思います。崇高な動物の魂たちからのメッセージは “正義” ではなく “無償の愛” というものなのかもしれません。私もこれに気がつくまでに時間がかかりました。今でも、瞬間瞬間に確認しないと、忘れてしまうほどです。

これを読んでくれている皆さんも、もしかしたら同じメッセージを受け取るタイミングなのかもしれません。パンプキンは、彼女の”問題行動” を鏡として、”あなたはそのままでとても素敵な人だよ”、”そんなに自分をイジメないで、優しくしてほしい” と私に教えてくれました。苦しんで、自分を責めたり、他の人を責めたりを繰り返す私をただ優しく、辛抱強く見守り続けてくれました。私が彼女のメッセージを聞き入れてくれるまでとても時間がかかったため、彼女の身体の負担は大変なものだっただろうと思います。

自分と向き合う

私は昔から自分は人とは違う、ダメな人間なんだと思っていました。パンプキンは、その考えは真実ではない事を教えてくれました。自分はダメな人間で、何かが足りないと思っているのは、きっと私だけではないはずです。世界中のほとんどがそう思っているのではないでしょうか?心の奥の中に “恥” や”悲しみ” や “寂しさ” を抱え込んでいる人はこの世に沢山いると思います。どんな時でも、あなたの本当の姿を知っている存在が言葉は話せずとも、あなたに “そのままの君で十分だよ。” と、この世から、そして目では見えない世界から光を送ってくれているんだと確信しています。

パンプキンは、一年という闘病期間、私と夫に思う存分の世話をさせてくれました。莫大な治療費を心配する私を “大丈夫だ” と言って、毎日仕事を頑張ってくれた主人。家族への愛を行動で示してくれる夫には感謝と尊敬の思いです。病気が発覚してからの一年間。彼女の身体は随分としんどかったと思います。でも、その身体と一緒にこの世にとどまる事にしたのは、 ”自分を愛し、尊重し、自分の価値を外に求めない。” というメッセージをなかなか受け取れない私に、彼女が身体をはって教えてくれた事でした。

彼女は本当に “健気” な犬でした。生きていた時もそして今でも純粋で、崇高な魂です。彼女は私の友であり、優しい応援団であり、可愛い娘であり、妹であり、姉であり、そして何より人生の師です。

今もこれからも、ずっと家族

私たち夫婦をいつも純粋な愛で包んでくれました。彼女の愛は、今でも感じ取れます──これを書く今この瞬間にも──生きてゆく中で、私がまた自分の軸からずれてしまう時、この文章を読む事で自分の本来の姿を思い出すことができると思います。これからもずれる時もあるし、間違うこともあるでしょう。でも私にはあの可愛くて、素晴らしい魂が見守ってくれています。パンプキンありがとう。ずっと愛しているからね。永遠に。また会おう!

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